おきつねさま
舞鶴の事件で豊田の事件が消されて、四川の地震でビルマ(ミャンマー)の水害が葬り去られて、さらにあれほどあったわれわれの身近な問題はどこへやら。これは役人制度同様にマスコミまでも制度疲労していることの証左なのか、それとも何かの計算なのか。後期高齢者医療が導入されてからアリコだかコリアだかいう保険会社のCMに無性に腹が立ってしかたがない。





島薬王寺で円空仏の御開帳があった。
(ちなみにこの地までは、東北本線の東大宮駅から田舎道のようなところを迷いながら歩き、帰りは東武線の七里駅にぬけた)

ここも見沼文化圏といえるだろう。
勝手な解釈をすると、西縁東縁の代用水とその外側の台地、西は中仙道、東は日光御成道に挟まれた地域、南は狭くとると八丁堤、広くとると荒川口まで。北はこれは難しい。男体社辺りまでだろうか。蓮田辺りまでだろうか。

写真は稲荷、というより狐。
狐を眷属とか使い神なんていってはいけません。化身ですから神そのものなのです。
つまり、神々というものは人間には到底想像もできないほどの存在で、われわれ人間が神として察知できるのは、神々がわれわれにわかるように何らかの姿をかりて出現するからです。人に憑いたり、石や木に降りたり、狐や熊、烏や鳩などの鳥獣に形をかりたりして。

こんなのが寂れた小祠にちょっこり鎮座してたらたのしいだろうなぁ
 


 見沼辨財天
寒いよ〜。台風が来てるというのにどうして。
変な地震も続いている。同じ地域で繰り返している。
時の政治が悪いと天災が頻発するというけど、日本もそろそかな。
そういえば一昔前までは震度4というだけで大騒ぎだったような気がする。もう20年以上前のことだけど。今はその程度では何ともない。


見沼辨財天は大宮駅の大通りをずっと真直ぐ進み、途中氷川男体社の並木道を横切り、さらに真直ぐ、坂を下り、だだっ広い病院と消防署の敷地の前を過ぎて、芝川の橋を渡って南(下流方向)へ少し歩いたところにある。



この写真以外ぜんぶ失敗。何やら光るものが、、


見沼には見沼七弁天なるものがあるという。どうみても七つじゃすまないと思うけど、その七つがどれなのかさっぱりわからない。
でもこれは比較的新しいもので、おそらく見沼干拓、つまり代用水敷設に伴って、その当時の関係者が水辺の重要ポイントに水神を祀ったものだということまではわかった。となると利根川の起点から配されているわけだ。古くからの見沼に接するところにある水神様は由緒がありすぎて除外かな。
 


 山口弁天
見沼の最下部、通船堀のある辺り一帯、八丁堤とよばれる人工の堤(ここで見沼溜井を堰き止めた)の東側、見沼代用水東縁を渡ったところに厳島の小社があります。通称山口弁天。この弁天様にはちょっとした伝説が言い伝えられています。

美女の竜神と山口弁天
足を痛めた美女に出会った一人の馬子が、彼女を送ってやると、女はお礼に小さな小箱を「決してあけないでください」と言いながら渡し、去りました。その後馬子の家には幸運が相次ぎました。しかしある日、約束を破り小箱を開けてしまうと、中には一枚のうろこが入っていました。そしてそれ以降、今度は不幸ばかり起こるようになりました。家のものは、「美女は竜の化身で、箱を開けたことに怒っての仕打ちに違いない」と考え、祠を作り弁天様を祀りました。現在山口橋のそばにある山口弁天が、その祠です。http://www.minumatanbo-saitama.jp/outline/culture.htm


この山口弁天のすぐ近くに木曽呂の富士塚があります。このあたりまで全部含めて見沼通船堀の文化財ということなのでしょう(竹林や附島女躰社などなども合わせて)絶好の散歩コースとして(も)気持ちよく整備されています。

確か代用水西縁の浅間橋の近くにも富士信仰の浅間神社があったはずと思い地図で確認すると、さらに代用水東縁、山口弁天の上流に東沼神社(見沼の東という意味か)という神社があって、ホームページを覗いてみるとここも明治の弾圧(合祀ではなく文化破壊であり弾圧。歴史教科書にははっきり愚行と書くべき)以前は浅間神社と名のり、今もコノハナサクヤヒメを祀っているという。見沼と富士信仰について、これは水源を求めてのことなのか、なにかありそうな予感がします。

見沼は龍だらけ、龍伝説について書くつもりがなぜか富士信仰に脱線してしまいました。ちなみに女躰社にも龍神様が祭られています。写真は山口弁天。



 


 御火塚
連休中に見沼めぐりをした。氷川三社の三番目。中山神社(中氷川社)。男体・女躰につづく簸王子社といわれるところ。王子であるとともに男女神の親でもあると神々の常識ではなっとくすることができる。となるとアラバハキ神か?
参道の途中、交通量の多い幹線道路を押し押しボタン式信号で横切ると神殿は西向きに座していた。ちなみに男体社である氷川大社(便宜上)は中仙道から分岐して長い並木参道をたどると南面して鎮座している。女躰様は見沼の低地を目の前に東を向いている。大社と女躰は陸道と川道で機能的に分けられたように思われる。火と水の対比もおもしろい。

あちこち廻っているうちに暗くなっちゃったのでよく見えなかったのだけど、御火塚なるものがあった。これはここで修験の火渡りが行なわれたその痕跡という。残念ながら今は諸事情で廃止されたらしい。実はここが一番ディープな所かもしれない。



全部写せていないけれど、四方に四つの石を配している。

 

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